◇神楽殿
 伊久智神社神楽 (伏見流・朝日流)

東浦町指定民俗芸能

 生路地区に伝わる御神楽は二つの流派があります。二つの流派が残る地は町内・近隣では当地区だけです。
 伏見流(南組)・朝日流(北組)であります。神楽の始まりハッキリと何年とは言えませんが 伊久智神社の古文書によりますと  天保三年(1832)には奉納していたと書かれています。その後 この神楽を近隣の村々の人々が伊久智神社へ習いに 各地に広まっ て行きました。現在も各地で奉納されています(半田市・阿久比町・町内(藤江・緒川・森岡)

 昔は 長男でないと御神楽への参加が許されず 格式が高く着物を着て演奏して居りました。昭和十二年(1937)日中戦争が始まる と南北両組が交代で一日も欠かさず 仲間の無事を祈り奉納した記録も有ります。
 今でも 慶応三年(1867)に四十六両三分で購入した太鼓を使って練習をしております。

 昭和四十六年(1971)に後継者不足となり神楽保存会に、昭和五十四年に町指定民族芸能と成りました。

奉納時 例祭・元旦祭・湯立神事・夏祭り等、神社祭事にて執り行っております


◇楠之御前社   大楠大神
  腫物、痔疾平癒の信仰あり
  楠には古来より殺菌殺虫(樟脳)の効能があり、その事が信仰となる
 大楠の杜 東浦町指定天然記念物
 伊久智神社の社叢を『大楠の杜』と称する
 樹齢数百年を数える楠の大木が並ぶ

◇熱田社     熱田大神
◇素婆倶羅社  医薬の祖神 少名毘古那神を祀る

秋葉社・金刀比羅社
由緒
秋葉社は『生道塩』を焼き固めるために火の神さまを祀る
金刀比羅社は『三白』の品物を各地へ航海の安全のために祀る
秋葉講について
神様は現在も変わらず、伊久智神社にお祀りしております。
昭和31年に、当時の氏子総代のお1人が常照寺の総代を兼ねており、講(組織)だけを持ってい行かれる。
合祀社
生路地区内にお祀りをしておりました、小さな社を合祀政策(明治39~)により秋葉社・金刀比羅社に9社合祀されました。
しかし合祀後、西島屋敷(上塚社)・塚越屋敷(天満社)・下屋敷(生道井)で赤痢や病が流行した為、人々の願いにより3社は元に祀る。
他6社(天神社・稲荷社・洲原社・山神社・冨士社・恵比寿社)を秋葉社、金刀比羅社へお祀りしております。


鹽竈石(しおがまいし)
古来 生道郷にて 塩を造る工程で使う竈(かまど)の底に鹽竈石を敷いて、その上で火を焚き塩を焼いていました。鹽竈石には病気を治すのに大変効果があったようです。
伊久智神社の鹽竈石にはその事を証明するように 石で作った手首が鹽竈石の中に入れて在り 病の願掛けの様子がうかがえます。現在も参拝に体の痛い処を鹽竈石で撫でる信仰が有ります。

◇神武天皇遥拝所
◇宮城遥拝所、神宮遥拝所  皇居と伊勢神宮の遥拝所

生道貝塚

伊久智神社を中心に広がる貝塚


●以下境外社・史跡

富士塚(通称:運動山)

富士信仰(山岳信仰)の塚
山頂には、三角点(測量標)と慰霊碑が建つ。
北西には山岳信仰の石像が、現在も原田家で護られる。
明治時代にはこの塚で大字対抗運動会が執り行われたので、運動山呼ばれる。

権太夫塚 (ごんだゆうづか)伊久智神社 社家(平野)の塚。
現在は土地区画整理の為、消失する。
平野家の歴史は古く、延喜(902)の荘園管理令で管理の為、英比より派遣、祭祀を司る事と成り現在も伊久智神社に仕える。

平野英義墓
寺子屋の筆子たちが師匠の徳を慕って建てた筆子塚
平野英義は江戸時代中期の伊久智神社神主

生道井 (いくじい)
生路地区内の史跡。現在も下屋敷の人々により護られる。

上塚社(神塚)(かみづかしゃ)
生路地区内の史跡。『上塚さん』と呼ばれ西島屋敷の護神。令和4年合祀

天満社(てんまんしゃ)
生路地区内の史跡。現在も塚腰屋敷の人々により護られている。